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タイへの恩返しから始まった子どもたちへの支援

志朗が2010年1月にプロデビューしてから、今も継続して支援を行っているタイの小児HIV施設のバーンデック・タマラック。ノーンムワン郡ロッブリー県にあるこの施設は、タイの首都バンコクから北に250kmで、車で行くと片道約4時間かかります。

支援を始めたころの様子。

試合ファイトマネーの一部を寄付していった

タイには、エイズを発症し家族から見捨てられてしまった人たちを保護して最後の時を看取っていた、エイズ寺として有名なプラパートナムプー寺院というのがありますが、ここの創立者アランゴット住職が、大人の影響を受けて爆発的に増えたこどものHIV患者の生活を助けるために、2000年に小児用の施設を開きました。それまでは、プラパートナムブー寺院の敷地内にありましたが、2007年に今のところに移ったと聞いています。

志朗が自分のファイトマネーから寄付を始めたのは、15歳のときからタイで本格的にムエタイ修行を始め、ムエタイ選手としてリングに立つうちに、お世話になったタイになにか恩返しをしたいという動機からでした。

志朗が15歳で移ったジムの周りは、こんな風景だった。

タイ語もわからない中、やさしく接してくれたタイの人たちがいて、厳しい修行を続けることができたのは、いろいろな人たちの助けがあったからだと言います。お世話になったタイに恩返しをしたい。そんな思いを持つ志朗は、HIVのために家族から離れざる終えなかった子どもたちが暮らす施設を知ることになります。

実際にこの施設を訪れてみると、見守る職員の下で規則正しい生活を送りながら、懸命に病気と闘い、学校に通っている子どもたちの姿がありました。施設が開設した当時と違い、投薬治療が進んでいるので、エイズを発症して亡くなる子どもはいなくなったといいますが、HIVの偏見や差別にもさらされながら懸命に生きている子どもたちがいました。

届けるのは、生活用品のほかに、果物やお菓子で特に果物は子どもたちに喜ばれた

この施設に志朗は、寄付金のほかに生活用品などを購入して届けています。ここは多くの方の支援で運営されていますが、長期に渡り継続して寄付をしている人は少ないそうです。

このコロナ禍もありタイに志朗がいかれないために、現在はタイで志朗の支援活動を支えてくださっている方々の力を借りて、物資を届けています。

志朗が寄付した食材で昼食作りをし、子どもたちに食べてもらいました。

 

こうした活動を行っている中で、施設にある浄水設備が整えられていないため、子どもたちが使う生活用水のうち、シャワーなどに使う水の清潔が保ちにくいという問題があると相談をうけました。

完成した浄水施設の前で。子どもたちと共に。

投薬しているとはいえ、子どもたちは免疫力が強くなくこうした水を使っていたため、原因不明の皮膚病に悩む子が多くなったといいます。そこで2014年には、志朗のファイトマネーの他、ご支援いただいている皆様からの寄付、クラウドファンディングを利用して集まった寄付金を使い、浄水施設を新しく作りました。

浄水施設の前には、寄付をしてくださった方の名を入れた記念碑が置かれ、タイと日本の友好の証としています。

大人や社会が守らなくてはいけない立場の子どもたちが、過酷な病気を背負いながら生きていかなくてはいけない現実に、少しでも役に立つことができればと、志朗の支援は今も続いています。

 

タイの小児HIV施設にいる子どもたちに、きれいで安心して飲める水をつくるために浄水装置プロジェクト、ご支援はこちらです。

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