熊本山都町の取り組み人と郷がつながる未来のために
熊本県山都町との出会い
2016年4月14日に起きた「熊本大地震」。その被害は震災後の豪雨の影響もあり、甚大なものとなりました。
住宅地や観光地、そして農作地も計り知れない被害を受けました。志朗は震災後の募金活動、ファイトマネーや試合チケット売り上げの一部、一部ファンからの義援金を被災地に寄付しました。また、被害が大きかった南阿蘇に出向き、瓦礫の片付けや赤牛の世話などボランティアとして働かせてもらっています。
こうした支援活動はその後も続き、試合後に寄付を続けていく中で、阿蘇外輪山に接する山都町を知ることになります。ここは九州のちょうど真ん中に位置する人口約1万5千人の緑あふれた町です。
山郷の水源が限られた白糸台地には、日本一の規模を誇る水を送るための通潤橋があり町のシンボルとなっています。見渡せば山の斜面や谷間を使い、階段状に作られた水田である「棚田」が美しく、日本有数の有機栽培による農業地でもよく知られた町です。
地域の過疎化や高齢化による棚田の保全については、それまでも大きな問題ではあったといいます。棚田は景観がとても美しいものの、傾斜地での作業は通常の田に比べて労力を必要とします。地震や豪雨と続けざまの被害に、棚田を手放し耕作そのものを辞める人が加速したといいます。
志朗が出会ったのは、山都町で無農薬や有機農法を行いながら、この地の共同体を守りさらに未来へと残していこうと活動を続けている人たちでした。
ここは日本の里山の風景が残っています。日本人の命を育んできたお米が育つ棚田があります。
志朗ができることはなにか?
そこで、ここに志朗の棚田を持ち、昨年は初めてもち米を得ることができました。無農薬で作られてたもち米を使って昔ながらの方法で、餅つきをさせてもらいました。
こうした活動を通じて、里山に興味を持ってもらい、そこから私たちの食に目を向けてもらえる流れを作ることができたらと考えました。
山都町を志朗が訪れる中で知ったのは、農業生産地の過疎化というのは、その地域だけの問題ではないということでした。未来を見つめれば、それはやがて私たち自身の食問題にもつながります。
現在、当地では棚田の復興プロジェクトが立ち上がり、ボランティアの皆さんと生産者の方々で、棚田の整備や手入れを行っています。